ken_nのブログ

西洋やアジア、また日本の近・現代史に関心があります。

忍耐と集中力が誘うギボンの世界『ローマ帝国衰亡史』

   数年前のことだ。

 
情報に翻弄されることの少ない田舎住まいだからこそ、その読書に集中できたのだろう。その対象とは、世界10大作品にも挙げられている書籍だ。もし東京に暮らし続けていたのならば、その本を手にしたとしても、11冊にもおよぶ大作なので、雑事に振りまわされているうちに、いつしか本棚の隅でホコリをかぶっていたかもしれない。その本とは、ギボンの『ローマ帝国衰亡史』(全11巻、筑摩書房1976-1988、中野好夫他翻訳)だ。
 
   それを読了して痛感したことは、そのエピソードから人間は何を戒めとして学び取ることができるかという点だった。
 
図書館から借りて、全巻を通して一回しか読んでいない。しかし、この書籍は再読すべきと考えている。今や、細部に至っては忘れてしまったことも多いゆえに。また、新たな発見ゆえのこと、もちろん。
 
   ギボンは、人間の欲望・嫉妬といったことに焦点を定めて、歴史的事実を分析する。
 
権力者だろうが、その残虐性と横暴さ、怠惰と欺瞞に糾弾の矛先は鈍らない。行為を正当化するような美辞麗句も並べ立てたりはしていない。
 
   そんななかで、私の情緒を揺さぶる内容もあった。
 
記録しとこう。
 
  1. 哲学者皇帝といわれたマルクス・アウレリウスと愚息コンモドゥス帝との関係。
  2. 美貌と知性に、野心を兼ねそなえた女傑ゼノビア
  3. コンスタンティヌス大帝の甥、ユリアヌスの人生。
 
   1は映画『グラデュエイター』の影響だ。2には哲学者のバートランド・ラッセルも夢中になったそうだ。3は異色で、私の心臓を貫いた。それ以降の生活態度にも影響を与えた。
 
   ユリアヌスのことが頭から離れなかった。
 
そんなある日の偶然のこと、辻邦生『背教者ユリアヌス』(中央公論社1972)を手に入れた。上下二段組、全720ページ。この小説の読破が最優先事項となった。ギボンの叙述を参照しながら、歴史的事実と文学的創造の境界線上で私は悩んだ。
 
   しかし、秀でた芸術は思考を奪う。
 
いつしか私は迷宮の住人となっていた。情に脆い人間ほど、理性を強調する。そんな逆説が露呈されてしまっていた。胸にこみあげるものを抑制しようとしても、目頭はジーンと熱くなって文字はかすんだ。ホメロス叙事詩プラトンの著作のいくつかも読んでいた。だから、なおさら心が共振したのかもしれない。
 
   この小説を半分以上、読み進んでいくとこんな箇所に出会う。
 
「この人は、なお、人間が、よきことを為しうるし、為さねばならぬ、と信じている。なんと現実離れした夢想であろう。だが、人間が地上に生まれて、ただ一回きりの生をしか生きられないのなら、人間が果たせぬ夢と思い描いたこの美しい夢を、どうして描かずにすますことができるだろう」(p.388)。
 
〈了〉
 
 
【参照】
 
†1.第一巻pp.96-100
 
†2.第二巻pp.15,27-28,30,36-38
 
†3.第三巻pp.112-114,119-121,141-143,296-299,308-311、第四巻pp.12-14,92-94